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かかさんと私

以前、庵のスタッフとして働いてくれていたMちんが、
今から4年程前、10数年ぶりでかかさんが里帰りした時の思い出を綴って下さりました。
青文字はMちん、赤文字はかかさんのメッセージです。


2006年撮影:Mちんと赤団子太郎
M_akatarou0604.jpg




ある日、かかさんがポツンと言った言葉。
「てんちゃん、すっかりお母さんになっちゃったね。 
 早くお姉ちゃんに戻してあげたい。」
当時、かかさんはみんなの命を守る為、必死でした。
その為、さるこの庵を離れている時間が多くなりました。


外に出て働くお父さん = かかさん、
みんなの日常を守るお母さん =私。


でも、求められるのはこれだけではありません。


良い事、悪い事を教える先生、
病気や怪我の治療をする看護婦、
年齢に伴う不自由をおぎなう介護士、
さらに一緒に成長する仲間、
最後の時を見送る家族、


これらの全てが必要です。
かかさんは一体、どれだけの間、この責任を一人で抱え込んでいたのでしょうか?
いつも、わぁ・にゃあ・私の事を心配して自分の事は二の次でした。



初代ぶうぶう号に乗る茶々(犬)&うる(故・猫)
uru_cyacya_2006.jpg


それでも、ある日かかさんから里帰りの話。
「私一人で大丈夫だろうか?」
と、不安だったけど、始めてかかさんが口にした
「茶々と一緒にぶうぶう号で帰りたい。」
という願いだけは絶対叶えてあげたいと強く思いました。


いつも一人で精一杯頑張っていたかかさん、
少しは私も役に立ったかな?


私がさるこの庵でスタッフとして働く事ができたのも、かかさんが免許を取り、車を運転することができたのも、全てご支援あってのことです。かかさんの里帰りはみんなの願いや努力が「形」としてではなく、「夢の実現」という何より嬉しい結果として現れたものだと思います。
本当に有難うございました。



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以上は、以前、共に庵の子達を守ってくれていたMちんが、HPの更新に役立てば・・と、自主的にノートに書き綴ってくれたものです。先週、梨利子ちゃんのガンのその後を心配してお見舞いをかねて寄ってくれました。
離れていても変わりなく庵の子達のことを思ってくれる彼女の思いに涙しました。その日は実はずっと、Mちんからこの前手紙を頂いたことの返事を考えていて、なんとなくMちんのことを頭にうかべることが多かったので、びっくりしました。



2007年撮影:じゅじゅのベランダから見た物資庫
busshiko0707.jpg


物資庫に物資が1つも届かない日が続いて
(こういう日の私は肩が落ちます。世間から見捨てられた様で・・・)
3日目か4日目、もう真っ暗な時刻に車が止まったので、
「郵便屋さんだ!やった!」
と、電気をつけたらMちんでした。


梨利子ちゃんのダーナーさんでもある彼女に、
「今のところ大丈夫だよ」
と、カーラーをした写真を送ろうと思って、カーラーを外さず、
でも、人手の減で写真を撮ったりの時間も無く、
Mちん心配しているだろうな。と思っていた矢先・・・。



いろいろな人のあたたかい思いを導くことのできる動物たちに乾杯。



【補足】
この時、一泊二日の強行軍でしたが、
10数年ぶりに実家に帰れて両親の顔を見ることが出来ました。
Mちんと庵との御縁があればこその出来事でした。


そして長い間、御支援くださり、応援して下さる皆様へ
感謝の思いがまた募ります。



二代目ぶうぶう号に乗る茶々
cyacya0612.jpg


2001年撮影:元気な頃の「うる」
uru_2001.jpg


2006年撮影:うる
uru2006_3.jpg


PS:この時は(故)うると、ちゃちゃを連れて行きました。
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