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らこぱあるを偲んで~夕日と猫の声~

夕べ20時頃、ひさしぶりにかかさんから連絡が入りました。


スタッフ達が帰宅した後、かかさんは夜眠るまでの間に全ての子達の様子を見て回るのですが、その間のほんのちょっとの合間を利用して連絡を下さったようでした。内容は、以前私が出していた質問への回答でしたが、仕事の話が終了した後に少し間をおいて、

「もう少し話してもいい?」

と言ってから、一昨日他界した「らこぱある」の話をトツトツと語りはじめました。


【和子ちゃん(左)と遊ぶ「らこぱある」:2008年2月撮影】
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らこぱあるが庵にやって来たのは2005年頃。
まだ子猫だった「らこぱある」は、四肢を動かせなくなる程の極度の栄養失調状態でここに連れて来られました。


その頃のかかさんは、長年の疲労が蓄積したあげくに倒れる事が多くなった時期でした。若いMちんの力を借りながら必死にさるこの庵を支える状態の中で、子猫の「らこぱある」もまた必死に生きようともがき、やがて少しずつ歩けるようになり、他の猫達の中に溶け込んで生活するようになりました。


後遺症によって、大人になっても高い所に飛び乗ったり、思い切り走り回ったりという事はなかったそうですが、それでも仲良しの子と一緒にじゃれあったり、毛づくろいをし合ったり、皆で一緒に眠ったりして、らこぱあるは穏やかな毎日を過ごしていました。


【チューリップ組にて~仲良しの子達と一緒に~:2009年9月撮影】
奥から:和子ちゃん・もうすけさん・てじら太郎・らこぱある
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奥から:和子ちゃん・もうすけさん・らこぱある
rakoparu_wako_mousuke090918.jpg


正確な年齢は分りませんが、らこぱあるはまだ5~6歳という若さでした。
そのため病状の進行はとても早く、最後の頃は点滴の液を吸収し、それを尿として排泄出来ない程になりました。かかさんの徹夜の介護により、一時はa/d缶を飲み込めるようになりましたが、それから2~3日して今度は全身が酷く浮腫みだしました。


らこぱあるにとっても、かかさんにとっても辛い闘病の日々でしたが、
そんな中でも体調の良い時は
「ンニャッ♪ ンニャッ♪ ンニャッ♪」
と、おしゃべりしていたそうです。

yuuhi.jpg

らこぱあるが虹の橋に旅立った日は、丁度動物病院の通院日でした。
その為、かかさんはゆっくり側でお別れする事もままならないまま、朝から忙しく働き、やっと一息ついた頃には既に陽が傾いていました。
「あ、そうだ・・・。回覧板回さなくちゃ。」
そう気付いて隣家に回覧板を届けた帰り道、どこからか

「ンニャ~♪」

と、猫の声が聞こえたそうです。けれど周りを見渡してもどこにも猫の姿はなく、あれ?と思った次の瞬間、らこぱあるが
「またね♪」
と、言っているように感じたそうです。
「実際には、いつもの鳴き声よりは長めのニャ~だったんだけどね・・。」
かかさんはそう言って話を締めくくりましたが、
やはり、それはきっと「らこぱある」の声だったように思います。




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